軍鶏 (1) (Action comics)

軍鶏 (1) (Action comics)

 掲載紙の廃刊に伴い中絶していた連載が、近々「イヴニング」誌で再開するとのことなので、それにあわせてここで紹介しておこう。

 「軍鶏」は決して知名度のたかい作品ではないが、僕は格闘技をあつかった漫画のなかでは出色の出来だとおもっている。

 しかし「軍鶏」は決して爽快な内容とはいえない。むしろその反対で、これほど邪悪な蠱惑に充ちた漫画はめずらしい。

 主人公は両親を惨殺した罪で捕まった少年ナルシマリョウ。かれはリンチを避けるため少年院のなかで空手を憶え、やがて凄まじいまでの技量を獲得してゆく──。

 凡庸な格闘漫画がしばしば「強さ」へのやみ雲なあこがれに支えられているのに対し、リョウの生存を賭けた闘いは、格闘技の闇をあばきたてる迫力に充ちている。

 「道」としての空手、よりたかい地点へ辿り着くための空手、そういった戯言をリョウは憫笑とともに否定する。リョウにとって空手とは牙、さまざまな欺瞞に爛れた社会ののどもとに突き立てる牙だ。

 かれは生きのこるためならば武器を使い、薬物を用い、敵の恋人を凌辱することすらいとわない。そんなかれの姿は殺人技術としての格闘技のもっとも純粋な理念を思い出させる。

 原始、ひともまた他のけものとおなじように「殺す者」だった。だが文明という堅牢な檻を築き、そのなかに隠れひそむようになったあと、ひとびとはやがて自らがほかの生きものの命を奪って生きる讀れた存在であることをわすれさってしまった。

 しかしリョウが繰り出すどすぐろい技のかずかずは、我々の血のなかに眠る獣の本能を呼び覚ます。

 空手を習得し、その技を極め、ひとりの人間として能うかぎりの強さを身につけても、殺人者であるリョウは現代社会では弱者である。弱いからこそ、だれにも殺されないためにかれは技を磨く。

 そしてそれはさらなる闇黒の底へとかれをいざなってゆく。これは邪悪な奔放な無頼な飛び切りの「悪書」である。

 善と悪の境界線をかたく信仰しているもの、ときとしておのれを疑うことをしらぬ善良さこそが、最も凶悪な虐待とうらはらであることに無自覚なものには無用の書だ。

 しかし、いっとき平穏な日常を遠くはなれ、痺れるような緊張に充ちた闇に身を漬したいとねがうものには、とびらはいつもひらかれている。連載再開の日がたのしみでならない一作である。