深爪 (新潮文庫)

深爪 (新潮文庫)

 読了。

 恋は時として落雷に似ている。はるかな高みでひらめいたかと思うと、光の速度で落下してきて瞬間に心を焼きつくす。

 あるいはそれは革命に似ている。本来なら連続しているはずの昨日と今日を、べつの世界へと変えてしまう。

 中山可穂の「深爪」は、落雷に焼かれ、革命に惹かれて平穏な日常の外へ足を踏み出した男女の恋愛風景を、それぞれの視点からえがき出した長編恋愛小説である。

 主人公は三人。同性しか愛せない自分に気付きながらも離婚する決心をつけられない主婦と、彼女をやさしく受け入れる夫、そして彼女と破倫の恋をつづける翻訳家の女性である。

 燎原の火のように激しくもえあがる恋の炎は、三人の日常を戦場に変えてゆく。ひとがかかえるあらゆる想いがそうであるように、恋愛にも光と陰のふたつの側面がある。

 中山可穂は陰の暗さから目をそむけることなく、じりじりと身を焦がすような恋を丹念につづってゆく。

 たとえそれが自分のもつすべてを粉々に砕くことになるとしても、時にはだれかを愛することを止められないことがある。その相手が同性であろうと異性であろうと恋の本質にはかかわりないこと。

 幼年期から長い時間をかけて築き上げられた理性も、たやすくは恋情を抑止しえない。しかしこの本を読み終えたいま、ぼくがいちばん気にかかるのは、愛妻に女性に寝取られることになった夫のその後だ。

 ほんとうの意味ですべてを失ったのは妻ではなくかれのほうだろう。正直、この作品ではそこらへんの男心が徹底的にえがき抜かれているとは思えない。ぼくがかれの立場だったなら、このていどのことではすまないはずだ。

 もとより恋愛は理非善悪でわりきれるものではないとはいえ、なんの咎もないのに、それどころかこれ以上なく優しく深い愛情を妻子にそそいでいたのに、突然にそのすべてを奪いとられてしまったかれの姿は哀れだ。

 妻との抱擁をのぞんで拒まれるかれをみていると、男という生き物の哀しさをしみじみと感じさせる。女性ならこの人物についてどう思うのか意見をきいてみたいところだが、どうせこの日記を読んでいるのは男性ばかりなんだろうなあ……。

 セックスレス・テーマの佳品としても読めるかもしれない。