鹿鼎記 2 天地会の風雲児

鹿鼎記 2 天地会の風雲児

 読了。

 先日完結したので、金庸最後にして最長の作品「鹿鼎記」の続きを読んでみることにした。

 本書の内容についての解説は第3巻以降の感想に譲るとして、今回は殺伐とした武侠小説の世界を花のように彩る女性キャラクターたちの肖像に目を向けてみることにしよう。

 金庸武侠小説はさまざまな点で近代娯楽小説史上に冠絶する作品群だが、日本の伝奇歴史小説とくらべて殊に傑出しているのは、女性キャラクターたちのの活躍がめだつことだろう。

 ちょっと考えてみれば近代以前の中国でこれほど女性が自由奔放に活動できたとはとても思えないのだが、「武林(侠客たちが覇を競いあう武術の世界)」は現実の歴史とは隔絶した一種のファンタジーワールド、この半架空の世界ならば麗々たる美少女が快刀片手に悪漢の群れを向こうにまわして大立ち回りを演じることも決して夢ではない。

 金庸の作品群を読んでいるうちにだんだんわかってきたことなのだが、武侠小説の世界で武術を身につけるために必要なものといえばまず第一に頭脳の聡明さ、第二にわき目も振らぬ集中力であって、腕力などというものは武術の腕とはあまり関係がないらしい。

 つまり武術もまた五言絶句やら水墨画やらと同じ中国文化のひとつという認識らしいのである。したがって金庸武侠小説に出てくる女性はほとんどが強力な武術を身につけていて、とにかく強い。

 たとえば金庸の代表作のひとつ「射雕英雄伝」には「五絶」とよばれる武林最強の五人の剣客たちが登場する。

 作中ではほかの剣士たちとはまったく次元がちがう強さを誇る迷惑な連中で、「射雕英雄伝」ではこのなかでも最も強かったのは「中神通」こと王朝陽(実在の人物!)だったという結論が出ている。つまりこのひとが掛け値なしの武林最強ということらしい。

 ところが、「射雕英雄伝」の続編「神都剣侠」ではこの結論が覆る。実は歴史には名を残していないけれどもっと強い女剣客がいたのだ!などと言い出すのだ(笑)。

 これには思わず笑ってしまった。ここには男女が正面からたたかえば男のほうが強いに決まっているというような常識はない。それはもう綺麗さっぱりこれっぽっちもない。

 たまたま伝説の侠客が残した剣法の秘伝書なんてものでも見つけた日には、ティーンエイジャーの女の子でも一気に最強クラスまでのしあがれる可能性がある。

 最近ドラマ化が進んでいる池波正太郎の「剣客商売」という小説がある。時代小説ファンのかたなら読まれているかと思うが、あの作品に佐々木美冬という男装の女剣士が出てくる。

 なかなか強く凛々しくかっこよいうえに美貌の剣士なのだが、このひと、シリーズの第6巻あたりで主人公の秋山大治郎と結婚してしまい、それからはすっかりただの良き妻、良き母になってしまって、かつて颯爽たる女侠の風格はどこかへ雲散霧消してしまうのである。

 どうもここらへんに日本の時代小説の限界があるらしい。当時の日本の社会環境から現実的に考えればそれがリアルな設定なんだろうけれど、ただの一読者としてはどうにもおもしろくない。

 その点、武侠小説はちがう。ただの女の子が、ただの女の子のまま、平然とどこまでも強くなれてしまう世界なのである。40年以上も前に書かれた小説でこれほど自由な女性像が提案されていたことには驚嘆するほかない。

 そしてまたそれと同時に、日本の作家はなにをやっていたんだろうとも思ってしまうのである。