『あっかんべェ一休』。

あっかんべェ一休(上) (講談社漫画文庫)

あっかんべェ一休(上) (講談社漫画文庫)

あっかんべェ一休(下) (講談社漫画文庫)

あっかんべェ一休(下) (講談社漫画文庫)

 日本仏教界が生んだ空前絶後の破戒僧たる一休の波乱の生涯を、その生誕から逝去まで余すところなく描き切った故坂口尚の遺作である。

 大河漫画として、求道物語として、戦国絵巻として、いずれの切り口から見ても大傑作としか言いようがないのだが、今回取り上げるのは物語序盤で一休が師謙翁から「お前の心のなかには差別の心がある」と伝えられる場面だ。

 この思いもよらない言われように対し一休は強く反発する。「和尚様! 平等こそ仏法の根本……わ私にはそのような気持ちはありません!!」。

 しかしそんな一休に向け謙翁は静かに言い諭す。

そうかな……ではなぜ心の塵を払いたいという? おまえが「チリ」という時「清浄」が 「浄らか」という時「汚れ」たものがおまえの心の中に生まれるのじゃ おまえが「善き」ものと思う時おまえの心は「悪しき」ものを生んでいるのじゃ おまえが「美しい」と感じる時「醜い」ものを生んでいるのじゃ

 この言葉を聞いた一休は自分の心のなかに潜む差別の心に気付いて愕然とするのだが、いま読むとこの言葉は期せずしてオウムのようなカルト教団に対する痛烈な批判になっていることにも気付く。

 この明瞭な論理に照らせば、オウムの信者たちが「サティアン」に篭もり、「心の塵」を払おうと修行を繰り返したことは、つまりは自分自身が救われたいという俗欲のなせるわざにすぎなかったことがあきらかだからだ。

 さらにまたこの言葉は僕たちの心のなかにひそむ差別の心を打つものでもある。謙翁和尚の言葉をこう敷衍することもたやすいだろう。「お前が「異常」という時「正常」なものがおまえの心の中に生まれるのじゃ」。

 善と悪、美と醜悪、正常と異常の境界線、それはひとの心のなかにしかない。その境界線を取り払い、世界を直接に感じ取ることがすなわち禅における「悟り」である。

 凡俗の僕たちはとてもその境地までは辿り着けそうになりが、せめて自分の心のなかにある差別心には自覚的でありたいものだ。「自分は平等主義者だから決して差別などしない」という人物ほどあやういものはないのである。