ABC殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ABC殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 読了。

 ミッシング・リンクものの最重要古典と目されるクリスティの代表作のひとつである。例のクリスティー文庫全100巻で出ていたので読んでみた。

 いままで読んでいなかったのはこの作品のトリックを知っていたからだが、実際に読んでみると知識があっても十分にとてもおもしろかった。

 ある日、隠居生活を楽しむエルキュール・ポワロのもとに挑戦めいた脅迫状がとどき、その予告どおりAで始まる地名の町でAの頭文字の老婆が、Bで始まる町でBの頭文字の娘が、次々と殺人者の凶刃にかけられていく。

 そして死体の傍らには犯人の狂気を証明するようにABC鉄度案内が置かれていたのだった……。というお話だが、作品の具体的な出来が云々というよりも、こんなことを考え出す作家の頭脳にこそ驚嘆する。

 殺人現場の地名と被害者の頭文字を合わせて次々と殺していく、という子どもじみた発想には、なにかミステリ的必然性という次元を超えた途方もなく冷ややかな精神が内在している。変質的なまでの無意味への拘り──それをひとは天才と呼ぶのだろうか。

 むろんクリスティはその殺人連鎖のなかに巧妙なトリックを仕込んでいるのだが、それだけならほかの作家でもいずれ考えついたことだろう。

 しかし、「そして誰もいなくなった」や「オリエント急行殺人事件」でもそうだが、クリスティの作品にはどこか数学的なまでに冷徹な美学が見られる。

 生身の人間をチェスの駒と見なすようなゲーム性。このヒューマンなドラマと冷たい論理性の衝突こそが本格ミステリ至上の快楽である。

 卑小な人間性と、人間を超えたものとの対峙と言い換えても良い。日本の作品でいえば横溝正史の「獄門島」などにもこういったある種の幼児的天才性は感じ取れる。

 そしてまた幾人もの無辜の人々の命を奪う犯罪を「スポーツ」と捉えるポワロの冷たさもまた強く印象に残る。

 カーが生み出したH・M卿やフェル博士は、たとえ毒舌を吐いていてもなんとなくひとの良さが滲むし、エラリー・クイーンの同名の落とし子は自分が犯罪を阻止できなかったことに苦悩する。

 しかし犯罪をゲームと捉えるポワロはどこまでも冷徹だ。かれの人格はほとんど半世紀以上前の小説の登場人物とは思われないくらいクールで現代的である。

 70年後、名探偵火村英生の助手有栖川有栖はこの作品を読んでポワロの冷酷な価値観に異を唱える。これはこれで、いかにもかれらしい。有栖はたしかに天才ではないが、心優しい愛すべき人物だ。