- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/10/01
- メディア: コミック
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読了。
おもしろい、おもしろいよ、平野耕太。
平野「ヘルシング」耕太のオタク内輪話漫画です。第1話あたりはわりと普通のゲーム漫画(?)だったんですけど、そこからどんどんコアでマニアックな方向へ暴走していき、最終話あたりはもうわけわからんことになっています。
「フリッカー式」の10倍はマニアック。向こうは「中学生さくらちゃん」だけど、こちらは「いっき」とか「暴れん坊天狗」だもんなあ。クソゲーマニアしか知らないって、そんなゲーム。
たぶん「ヘルシング」が当たらなかったら再単行本かされることもなかったでしょう。この調子で「コヨーテ」もどこかの会社から出ないかなあと思っているんですが、たぶん出ないでしょうね。
ベースがゲームオタクの内輪話なので、ディープなゲームオタク因子を持っていないひとにはなにがおもしろいのか全然わからないと思いますが、僕はそれ系のひとなので死ぬほど笑いました。
そもそもコアなオタクの会話というものはそれ属性を持っていないひとにはさっぱりわからんものなのですよ。
コミケで交わされている会話とか聞いていると僕ですら全然見当がつかないのありますから。僕にわからないということは一般ピーポーにはアフリカーンス語と同じくらい謎なはずです。
自覚して話しているのならいいんだけどね、けっこう自覚していないひといるからね……。まあそういうわかるひとにはわかる的な会話が延々と繰り広げられる漫画なのです。
でもネタのディープさを除けば(それが核爆発級に凄いんだが)内容的には古典的ともいえるオタク漫画かも。そもそもマイナーゲームばかりネタにするようなマイナー嗜好はオタクとしては既に旧世代の感覚に属するのではないでしょうか。
たぶん最初のころのオタクカルチャーにはたぶんカウンターカルチャーとしての側面があったんでしょうね。
だからはじめの世代のオタクのひとというのは、オタクが権威的な発言をすることを凄く嫌う。オタクは権威に反逆するものだという意識がまだどこかに残っているんですね。これが僕たちの世代になるとだいぶ変わってくる。
現在20代半ばの僕らの世代というのは、ようするに物心ついたときからテレビゲームやOVAやライトノベルがあった世代ですから、幼年期からずーっとそれ系のものを摂取してきて、大人になってもそれを「卒業」せずにそのまま遊び続けてしまっているというパターンが多い。
したがって、マイナーもメジャーもあまり関係ないし、オタク文化/非オタク文化の境界線に無頓着な傾向が強い。
西尾維新はご存知の通り(とか書いちゃうあたりが既に僕もミステリオタなんだが)アニメ的美少女キャラと本格ミステリをミックスした作品を書きつづけていますが、たぶんかれにとってはあれは自然な展開だったのだと思います。
アニメもミステリも等価、貞本義行もジョン・ディクスン・カーも対等。みたいな。僕らより下の世代がどのようなセンスでいるのか、それは僕にもわかりません。きっとエイリアンみたいに異質な感覚を持っているのでしょう。