復活の朝―グイン・サーガ〈92〉 (ハヤカワ文庫JA)

復活の朝―グイン・サーガ〈92〉 (ハヤカワ文庫JA)

 読了。

 終わった! といってももちろん全編が完結したわけではないのですが、第71巻から蜿蜒ずっと続いてきた「パロ解放戦争編」が、この巻でようやく終わったようです。

 長かった。この第92巻においてようやくひとまず中原の宝石パロから竜王の脅威は去り、長いあいだ暗君レムスのもとで内乱の苦しみに喘いでいたパロスの大地は完全な平安を取り戻しました。

 次の舞台はゴーラかケイロニアか、あるいは沿海州か……いずれにしろ、かれらの新たな王となるべき聖王子アルド・ナリスの姿は既にそこにないにせよ、パロの民はしばらくのあいだ平安のまどろみを楽しむことでしょう。

 今回はほぼ「事後処理編」といってもいい内容なのですが、それでもふしぎとおもしろいのですねえ。

 あらためていったいこの地味な展開のどこがおもしろいのかと問われると困るのだけれど、それでも僕はやはり「グイン・サーガ」の真の魅力は、大戦争や大魔術といった派手な部分にではなく、こういったごく地味な、なにげない描写の積み重ねにこそあると思います。

 一見不要であるようにも見えるそういった箇所が膨大に積み重なっていくことによって、はじめて重みを持った物語世界ができあがるのではないでしょうか。

 おそらく僕の人生でこれほど長い物語を読むことはもう二度とないでしょうし、そしてまたこの物語の登場人物たちほど長い時間をかけて深くかかわりあう者たちと出会うこともまたないことでしょう。

 グイン、イシュトヴァーン、ナリス、マリウス、リンダ、アムネリス、ヨナ、ヴァレリウス。かれらとまだしばらくのあいだかかわりあっていられることは、やはり幸福だと思います。

 むろん「いまでないいつか、ここでないどこか」の物語である以上、この物語もまたほかの物語と同じように、いつかかならずその幕を閉ざしてしまうのですが、それでも僕は閉ざされた幕の向こう側の友人たちを思いながらこの現実という名の物語を生きていくことができるでしょう。

 今回はイシュトヴァーンとヨナの対話が印象的でした。このふたりが出会うのは本編の物語からさかのぼること数年前、外伝第6巻「ヴァラキアの少年」でのことです。

 いまだヴァラキアの街でからだを売り博打を売ってその日暮らしの毎日を生きる無名の少年にすぎないイシュトヴァーンは、ひょんなことから街の悪党どもに狙われていた天才的な少年ヨナを助けることになります。

 色町で育ち、義侠心に富んでいるとはとてもいえないかれは、なぜか命を賭けてヨナを助け出すことになります。純粋で健気な少年の日の友情!

「おれもな、まあ、一人ぐらい、えらく学問のできる弟がいるってのも、いいかもしれねえぞ。──な、おい、おめえ、ほんとに、えらくなったら、おれに手助けしてくれるんだぞ」

 しかし、次にふたりが逢うとき、イシュトヴァーンは既に「ゴーラの狂王」と呼ばれる暴君であり、ヨナはゴーラと敵対する神聖パロの参謀長となっています。

 少年の日の誓いは既にあまりに遠く、ふたりは憎しみすら抱いて対峙します。なぜこんなことになってしまったのか──。

 だけど、この第92巻でふたりはふたたび親しみをこめて語り合うのですね。もう、遠く、信じがたいほどに遠くなってしまったあの日々のことを。

 ひとはだれもが大人であることを辛い責務でしかないように口にする。だけどほんとうはそうではない、子供であることのほうが、大人であるよりもずっと辛く、苦しいことなのだと僕は思います。

 イシュトヴァーンはいつまでも少年のままで、大人になれない。そのせいでまわりに非常に迷惑したり苦労したりするのだけれど、実はそのことでいちばん苦しんでいるのはだれあろうかれ本人なのです。

 いつかかれもまた大人になってこの時代をなつかしく思い出すときがくるのでしょうか。それを知るためにも、僕はこれからもこの長い長い物語を読みつづけることでしょう。