りら荘事件 (創元推理文庫)

りら荘事件 (創元推理文庫)

 読了。

 「黒いトランク」と双璧をなす鮎川哲也の長編代表作である。

 途中で人物の出入りがあるために狭義のクローズド・サークルには入らないが、のちの新本格綾辻行人有栖川有栖の「館もの」に膨大な影響をあたえたと思われるいわば歴史的な小説だ。

 昔、ある実業家によって建てられた「ライラック荘」は、その実業家が株の暴落によって自殺して以来、「りら荘」と呼ばれ、芸術系の大学の保養地となっていた。

 そのりら荘に大学の美術部と音楽部の学生たちが訪れる。日高鉄子、行武栄一、尼リリス、牧数人、橘秋夫、安孫子宏、松平紗絽女の7名。

 それぞれに愛憎を抱えたこの7人が集ったりら荘で、恐怖の連続殺人事件が発生する。最初の死者は炭火焼き小屋の中年男。そしてその死体の傍らにあったのは、どこへともなく消えたトランプのスペードのエースだった。

 やがてそれに続けるように殺人が起こり、その傍らにはスペードの2が置かれていた。そしてまたそのあとも次々と片手に余る人数の人々がそれぞれ異なる方法で殺されていき、その傍らには常にスペードのカードが置かれていたのだった……。

 ほぼ半世紀前に書かれた小説だが、風俗描写や女性描写(さすがにこれはないよなあ)などはさすがに既に古くなっているものの、本格ミステリとしては今日読んでも古さを感じさせない。

 巧緻をきわめた、という言葉はこの作品のためにあるのだろう。嵐のような謎が名探偵によって一刀両断に解かれていくタイプの優美な純粋パズラーである。

 被害者が殺されつくし、さまざまな謎が積み重なってついに警察の手に負えなくなったとき、おもむろに名探偵星影龍三は登場し、あっというまにすべての謎を解き明かしてしまう。

 メルカトル鮎ではないが、かれもまた「長編には向かない探偵」であるらしい。謎を前にして苦悩するということがないのだ。

 この作品には「斜め屋敷の犯罪」のような荒唐無稽な大トリックはないが、全編に細かいトリックが実に緻密に組み立てられており、しかもすべてのトリックに対してこれ以上なく親切に伏線が敷かれている。

 その骨格の端正さは読後、読者にため息をつかせることだろう。半ダースを超える死者を出した複雑をきわめる事件であるにもかかわらず、解決編で提示される回答はどこまでも端正でわかりやすい。

 しかも、ひとつひとつの殺人にそれなりに納得のいく動機があり、トリックがある。早い話、被害者たちの横に置かれているカードにしても複数の合理的な意味があり、決してただの趣味的な小道具ではないのである(その意味で「無意味な暗号」にこだわり抜いた森博嗣の「黒猫の三角」あたりとは際立った対照をなしているといえるだろう)。

 ただしこの作品、それはもう徹底的に「人間が描けていない」。江戸川乱歩横溝正史であれば用意したであろうような怪奇幻想趣味もない。あくまでもどこまでもストイックなパズル小説である。

 そういう意味で普通にいうような「小説」からは最も遠い作品であるといえる。だが、あなたがもし真に本格ミステリを愛する心を持ったひとならば、かならずやこの冷徹な合理性のなかに、宝石の煌きを見て取れるはずだ。

 それ以外のひとには、まったく用がないと言い切ってもいいような作品でもあるのだが……。