Q.E.D.証明終了(13) (講談社コミックス月刊マガジン)

Q.E.D.証明終了(13) (講談社コミックス月刊マガジン)

 読了。

 あいかわらず非常にレベルが高い。国産ミステリコミックの最高峰である。

 本格ミステリはその性質上、しばしば人間を記号か操り人形のように扱うことがある。登場人物すべての人形の名前をつけた「匣の中の失楽」などはその端的な例だが、本格が「人間が描けていない」という紋切り型の非難を受けるゆえんがそこにある。

 人間とはそもそも本質的に複雑で、矛盾に満ちた存在であり、なかなか論理だけで合理的に割り切れるものではないのである。

 だが、それでは本格ミステリの魅力はどこまでもパズル性のみにあるのであって、「人間を描く」ことはできないのかといえば、それも違うのではないか。

 名探偵の手によって不可解な謎が解かれるとき、マッチの火が暗闇を照らすようにその答えが人間性の暗黒を照らし出すことがあるように思う。

 いわば本格ミステリとは不条理な人間性というバターにあざやかに合理性のナイフを入れて、その切り口を読者に見せるような文学であるといえる。

 今日、そのような意味での本格ミステリを書いているのが京極夏彦森博嗣であり、そして漫画界では加藤元浩であるといえる。

 この巻に収録されている「サクラ サクラ」では「MITに通っていた天才児燈馬想はなぜ日本の学校に転校してきたのか」というシリーズ全体を貫く謎がクローズアップされる。

 これは人間性の謎であり、したがってトリックの答えのようにわかりやすく解かれることはありえない。この場合の答えは抽象的な理念でしかありえないのだ。

 だがそれでもなおその問題の答えは、現実的な謎の合理的な答えとシンクロして読者の胸を打つ。現代ミステリの最前線は、実にここにあるのである。