霧越邸殺人事件 (ノン・ノベル)

霧越邸殺人事件 (ノン・ノベル)

 読了。

 これは、評価が難しいなあ。★★★☆という評価をつけたけれど、このランクは今後大きく揺らぐかもしれない。

 とりあえず「小説としては」綾辻行人の全作品のなかでもおそらくナンバー1の出来と断言してかまわないでしょう。

 あの作品の発表から数年の時が経っているのだから当たり前といえば当たり前なんだけれど、トリック以外の部分に大きく拙劣さを残したデビュー作「十角館の殺人」のころとは別人のように文章がうまくなっている。

 作者は突然の吹雪に追われた遭難者たちがなぞめいた館「霧越邸」に逃げ込んでくる冒頭から重厚かつ不気味なイメージが全体に垂れ込めさせ、巧みに読者を吹雪に閉ざされた異世界へと誘い出すことに成功しています。

 北原白秋の童謡に見立てられて次々と劇団員たちが殺されていく事件そのものもムードたっぷりだし、小説としての完成度は非常に高い。その意味では傑作といってもいい。

 問題は推理小説としてのトリックの部分。この作品の中核となっているのは「意思をもって殺人を指し示す館」というアイディア。

 この物語では「霧越邸」そのものの意思によって殺人が起こる前にあらかじめ被害者が示される(ように見える)という事態が起こる。

 見ようによってはすべて偶然ともいえる一方、あまりに神秘的な符号にはやはり超自然的な意思を感じざるをえないようにも見えます。

 そしてこの謎は物語の最後まで解決されません。つまり読者には次のふたつの読み方が許されるわけです。

1 「霧越邸」に意思は存在しないと考える。
2 「霧越邸」には意思が存在すると考える。

 1の考え方を採った場合、霧越邸におけるさまざまな符合や暗示はすべて偶然、もしくは思い込みの産物ということになる。この場合、作品は完全にコード型本格ミステリの枠組みのなかに入りきる。

 実際、作中に出てくる符号はどれもこじつけといえばいえるものばかりで、この考え方が正しいような気もする。だが、2の考え方を採る場合はそれらの符号はやはり館の意思が関係しているのだということになる。

 作品内にスーパーナチュラルな存在を認めてしまうことになるのです。そうなると作品そのものが本格ミステリの枠組みから外れてしまうことになりかねない。

 もちろん西澤保彦の「七回死んだ男」などをはじめとして、作中にあえてスーパーナチュラルな要素を持ち込んだミステリは少なくありませんが、そういった作品では普通その要素が実在することははじめから確定していて、その「ルール」を前提にして推理が繰り広げられることになるのです。

 この作品のように「存在するかどうかわからない」という不確定要素を残したものはめったにないでしょう。

 つまり、「霧越邸殺人事件」は本格ミステリでありながらかぎりなくホラーに接近した作品といえるわけです。

 しかし見ようによってはこのような不確定要素は合理性を重んじる本格ミステリとしては瑕疵にすぎないともいえるでしょう。それがどう評価するべきか迷う所以です。

 ともかく本格ミステリの限界に挑む野心作、ということだけはまちがいない。