創竜伝(13) 噴火列島 (講談社ノベルス)

創竜伝(13) 噴火列島 (講談社ノベルス)

 読了。

 ひと言、めちゃくちゃおもしろかった。

 第11巻、第12巻と番外編が続き、破天荒なエネルギーも尽きたかと思えた「創竜伝」ではありますが、この巻は傑作です。

 いや、本当に凄かった。「夏の魔術」シリーズの完結編「春の魔術」ははっきりいって凡作といって良い出来だったのですが、この作品はまさに抱腹絶倒の大怪作、基本的に田中芳樹作品はスケールが大きいほどおもしろいということがよくわかる。

 物語は第10巻の続きで、世界中を荒らしまわったあげくイギリスにおいて世界を影から支配する大企業連合「四人姉妹」の首脳を破って日本へ帰国した竜堂四兄弟が、富士山噴火のつづく母国でまたも新たな騒動に巻き込まれるという展開になっています。

 「そりゃあ、神州不滅!」とか叫びながら殺人フライパンを振りまわす「天使のなっちゃん」ももちろん大活躍。ていうか、今回は彼女が主役といっていいかも。

 最初は20世紀末だったはずの作中設定がいつのまにか21世紀になっているけれど、気にするな。ちなみに、裏表紙のあらすじはこうなっています。

 富士山の噴火にあえぐ日本――終と余は見るからに奇怪な「トカゲ兵」と激闘、始と続くはなんと「正義の美女戦士」小早川奈津子と手を組む羽目に。世界の最強国さえ自在に操る「閣下」の存在が不吉な影を落とす中、これまでの歴史を一変させる妙手が浮上した!? 新たな波乱を呼ぶこと必至の超人気シリーズ最新作!!

 この「妙手」というのがまあ、めちゃくちゃというかめちゃくちゃというかめちゃくちゃというか――いったいどこからこんな発想が湧き出してきたんだという異常な発想でして、やっぱりこのひともどっか変だと思わせます。

 なんといったらいいのか、発想の質が根本的に違う。常識と良識に縛られた真面目な作家では絶対に思いつかないでしょう。

 仮に思いついたとしても、普通はやらない。清涼院流水でもやらないだろう、こんなばかばかしいネタ。まあとにかくとんでもねえ発想なのですが、この「歴史の大逆転」ともいうべき一大奇策によって物語は新たな、より荒唐無稽な展開へと進んでいくかに見えます。

 次巻は京都の××と日本政府の対決になるのか――ようこんなこと考えるよなあ。第10巻の時点でだれがこんな展開になると想像しただろう。

 以前は全10巻といっていたのだけれど、この調子で行くとさて全20巻でも終わるかどうか。だけど、これで良いのです。

 行き当たりばったりの暴走に次ぐ暴走の末、どんどんわけのわからない展開になっていくことこそ伝奇小説の王道。計算されつくした細密なプロットなんてものは、伝奇小説にとって邪魔、邪魔、邪魔以外の何物でもないのです。かの半村良先生もそう仰っておられる(たぶん)。

 さて、ここからは余談になりますが、作中に仙人についてこんな表現があります。

 「あの仙人たちは好奇心いっぱいで、事件や騒動が大好きだから。不老不死が退屈でつまらないなんて、仙人の資格なし。時代の変化を楽しみ、時代ごとにあらわれる芸術に感心して、何千年でも飽きることがない。むしろ手を出したがるのをおさえて見物に徹してもらうほうが、ひと苦労なの」

 これは日本人がしばしば抱く仙人のイメージとは違うでしょう。でも、仙人というものはこういうものなんです。

 僕は金庸武侠小説に出てくる周伯通という老人を見ていてつくづくそれを思い知った。ああこういう人間が仙人になるんだな、と。

 芥川竜之介の「杜子春」をご存知でしょう。ある青年が仙人の修行として沈黙の行に挑むものの、地獄で苦しむ両親の姿を見せられ、

 「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けてゐる父母を見ては、黙つてゐる訳には行きません。」
 「もしお前が黙つてゐたら――」と鉄冠子は急に厳(おごそか)な顔になつて、ぢつと杜子春を見つめました。
 「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ。――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」

 ということで、結局、黙っていても声を出しても仙人にはなれなかったのだ、というオチになる話です。

 ここまで読んで「じゃあ結局どうやったら仙人になれるのだ」と不条理な思いに捕らわれたのは僕だけではないでしょう。

 でも「仙人になりたい。そのためにはどんな修行もいとわない」などという真面目な考えかたをする者はそもそも仙人には向いていないのです。

 仙人とは、ホイジンガのいうホモ・ルーデンス、何百年だろうが何千年だろうが遊び暮らしていてちっとも飽きないような性格の人間だけが仙人になる資格がある。

 永遠の命はむなしい、などといいだすような青二才はとても仙人には向かないということ。なるものではなく、いつのまにかなってしまうものだといえばいいかな。悠久の文化の凄まじさを感じます。