白夜 (角川文庫クラシックス)

白夜 (角川文庫クラシックス)

 読了。

 「カラマーゾフの兄弟」を投げ出してこの薄い本を読んでみた。

 ルキノ・ヴィスコンティ監督によって製作された映画版も有名だが、なるほどいかにもヴィスコンティ好みの美しく美しく美しく、残酷な残酷な残酷な小説である。

 翻訳もとても端正で読みやすく、僕はファミリーレストランの席で一冊読み終えた。なにしろ100ページ強しかないのである。

 「ドストエフスキーを読んでみたいが、大作にはどうも手が出ない」という向きは、まずこの作品からかれの世界に入ることをお勧めしたい。

 物語の舞台は美しい白夜のぺテルブルク、四夜に渡って空想家の若者と不幸な身の上の少女のあいだで、夢のような恋の物語が繰り広げられることになる。

 しかしそれはまさに一夜の夢にすぎなかったかのように、朝の訪れとともに儚く消え去り、若者はふたたびただひとり、絶望だけを友に、この貧しい地上に取り残されることになる。

 文章は徹底して詩的で流麗だが、内容そのものは100年以上むかしに描かれた作品であるにもかかわらず、ほとんど乙一滝本竜彦が書いたといってもおかしくない代物で、あらためてドストエフスキー作品の現代性に驚かされる。

 いや、いついかなる時代といえども、役立たずの夢想家の運命など似たようなものだということだろうか(泣けるなあ)。

 四夜の「真冬の夜の夢」を経てついに訪れた朝の光は、女のずるさと男の愚かさを容赦なく照らし出す。

 みずからその手を振り捨てた男に対し、「あなたは永遠にあたしの親友、あたしの兄なのですもの……。」と描いたとき、女の手ははたしてその罪の深さに震えただろうか。

 いや、決して震えはしなかっただろう。あたらしい真実の恋に溺れているとき、どのような娘がすでに捨て去った手と唇のことを思い出すだろうか?

 しかしそれでもなお、過ぎ去った四夜の思い出だけは永遠にだれも穢すことはできない。いつの世も夢想家に赦された慰めとは、夢見ること、ただそれだけであるのかもしれない。