エーミールと探偵たち (岩波少年文庫 (018))

エーミールと探偵たち (岩波少年文庫 (018))

 読了。

 児童文学の名作中の名作をようやく読みました。いやあ、おもしろかった。冒頭からして親しみやすい。

 エーミールの話は、まったく思いがけなく、むこうからやってきた。ほんとうだ。もともとは、まるでべつの話を書こうとしていたのに。虎が歯をがちがちいわせ、ナツメヤシが実をがらがらいわせるような、こわーい本だ。白と黒のチェックもようの人食い人種の女の子が、サンフランシスコのドリンクウォーター社の歯ブラシをもらうために、太平洋を泳いでわたるのだが、その女の子の名前はパセリちゃんということまで決まっていた。もちろん、苗字はなく名前だけ。

 このあと本編とはなんの関係もないパセリちゃんの話が続くのです。

 結局、「クジラの足は何本だっけ?」と悩んだところでこのお話は中断してしまい、作者が窓枠にこしかけて手ごろなお話が来るのを待っていたところにやってきたのが、このエーミールのお話というわけ。

 どうです、意表をつく書き出しでしょう? やっぱりまあ、国境を越え、時代を超えて残る作品はそれなりのものがあるらしい。

 で、この冒頭の文章が終わると次は本編と関係する10枚の絵とその説明の文章が並んでいる。それが終わってから、ようやく物語が始まる。

 ここらへんのじらしのテクニックは、うまいなあと思いますね。

 子供向けの作品だから、もちろん長々とした言いまわしや複雑な構文があるわけじゃない。だけど、それだけに、小説の真髄ともいうべき魅力的な文章が散見される。

 長くなりますが、本編で僕がいちばん感心した文章を引用させてもらいましょう。

 もしもぼくが、エーミールは「いい子」だと言ったら、みんなはわかってくれるだろうか。「いい子」なんてダサいって、笑ったりしないだろうか。そう、エーミールは母さんを心から愛していた。母さんがはたらいたり、お金の勘定をしたり、またはたらいたりしているあいだに、自分はなまけていたら、エーミールは死ぬほど恥ずかしく思っただろう。だから、宿題をすっぽかしたり、ナウマンさんちのリヒャルトのを写させてもらったりしてもよかっただろうか。べつにかまわないからといって、学校をさぼってもよかっただろうか。エーミールには母さんが、どんなものでも、ほかの実科学校の生徒はもっているのにエーミールはもっていない、なんてことのないように骨折ってくれていることが、よくわかっていた。なのに、そんな母さんをだまして、悲しませてよかっただろうか。

 エーミールは「いい子」だった。そのとおりだ。けれども、おくびょうで根性がケチ臭くて、ほんとうの子供らしさをなくしているために、「いい子」のふりをするしか知らない連中とはわけがちがう。エーミールは、「いい子」になろうと思ってなったのだ! もう映画は見ないとか、キャンデーは食べないとか決心する人がいるけれど、それとおなじように、エーミールは「いい子」になろうと決心した。そう決心したおかげで、つらいなあ、と思うこともあった。

 それでも、復活祭の日にうちに帰って、

 「母さん、はい、成績表。ぼくまた一番だよ!」

 と言えるとき、エーミールはとっくりと満足した。学校やいろんなところでほめられるとうれしかった。それは、自分のためではなくて、母さんがよろこぶからだった。母さんが、毎日せっせと自分のためにしてくれていることに、自分なりにすこしは恩返しができたと思うと、エーミールは鼻が高かった……。

 たったこれだけの文章ですが、これを読んだだけで、エーミールがどれだけ母親を愛しているか、よく伝わってくる。

 この文章があるからこそ、このあと大切なお金を盗られてしまったエーミールがうろたえるさまに説得力が出てくるのです。

 大好きなお母さんが苦労してはたらいてやっと貯めたお金、それをひとり息子の自分がおめおめと盗まれてしまったなんて、どうしていえるでしょう?

 こうして、「エーミールと探偵たち」のベルリンの街を舞台にした泥棒追跡劇は始まります。

 いいね。こういう話をこそ、子供のころ読みたかった。僕はむかしどういうわけかいわゆる子供向けの名作をほとんど読まない子供でした。

 ギリシャ神話や北欧神話は好きで、よく読んだものでしたが(ここらへんが後年のファンタジー好きに繋がっている)、なぜか外国文学にはあまり食指がのびなかったのです。

 それらはいかにも格調高そうで、敷居が高かったのかもしれません。だから「シャーロック・ホームズの冒険」、「モンテ=クリスト伯」、「宝島」、「星の王子さま」、「ナルニア国物語」、「クリスマス・キャロル」、「赤毛のアン」、「小公女」、「秘密の花園」、「あしながおじさん」、みな大人になってから読んだことになります。

 どれも素晴らしくおもしろかった――子供のころ読んでいたら、もっとおもしろかったかもしれないけれど。もちろんまだ読んでいない名作もたくさんあって、それはこれから読めるのですが。

 僕が小説に求めるものは、結局、子供のころからなにも変わっていないのかもしれません。ワクワク、ドキドキ、ハラハラ。

 その作品が歴史的にどんな意義があるとか、どんなに複雑な技術が使われているとか、そういうこととは違うんだよな。

 本を読むことは、だれにとっても、孤独な作業です。だからこそ、時にそれは、ひとの心をより豊かな世界へと導いてくれると思うのです。

 空想の王国へは、一人でさまよいゆくしかない。王国へむかう魔法の小道は、最愛の友でさえ、ついて行くことはできないのだ。

――「アンの青春」