新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

 読了。

 素晴らしく面白いエンターテインメント。そうとしかいいようがない。

 司馬遼太郎の作品のなかでは比較的マイナーかもしれないけれど、「竜馬がゆく」や「国盗り物語」を読んでこれを読み逃してしまうのはあまりに惜しい。惜しすぎる。

 今日まで見事に読み逃がしていた僕がいうのだから間違いありません。

 この作品は司馬作品にはめずらしく主人公が女性です。その名を千代。のちに土佐二十四万石を統べる大名にまで立身することになる山内一豊の糟糠の妻。

 物語はうら若い彼女がまだ食い扶持わずか五十石の田舎侍にすぎない一豊のもとに輿入れしてくる処から始まり、一豊の立身とその影に隠れた千代の活躍を描いていきます。

 このような小説を描く場合、一般的にいえば一豊の出世物語に焦点を合わせるのが普通でしょう。

 司馬自身、「国盗り物語」ではまさにそのようにして痛快きわまる物語を描ききっています。しかし困ったことに、一豊は道三のような蓋世の英雄ではありません。

 それどころか凡庸といえばあまりに凡庸、歴史小説の主人公としてはこれ以上の凡夫も滅多にいないだろうという平凡きわまりない男で、取り柄といえば律儀で善良な性格と頼りになる部下がふたりついていることくらい。

 覇気もなく、剛勇もなく、機略もなく、遠謀もなく、とても大名にまで出世できるような男ではないのですが、しかしたったひとつの幸運によって、この男は本人も信じられないような奇跡の大出世を遂げていくことになるのです。

 たったひとつの幸運、愛妻千代がこの時代にあって比類ない賢妻であったことによって。

 お話はたしかに作中「功名餓鬼の俗物」と称される一豊が秀吉貴下で功をなし、次第に石高を上げていくさまを中心に進んでいきます。

 しかしほんとうにおもしろいのはその裏側で千代がいかにして一豊を支え、その資質としては凡夫にすぎないかれを国主大名にまで押し上げていくか、という影の物語です。

 千代は実際には歴史にほとんど記録の残っていない人物です。ほぼ司馬遼太郎のオリジナルキャラクターといってもいいでしょう。

 そして司馬遼太郎描く彼女は、凡庸な夫をはるかに上回る智謀を持った聡明な女性なのです。

 封建の世です。女は夫に従っていれば良いという思想が当たり前の時代です。それでもなお、時には男たちをはるかに上回る知性を備えた女性が育ちます。

 そのような人物がすこしでも世の中を動かそうとすればどうすれば良いのでしょうか。術はただひとつ。夫を補佐し、かれを通じて世におのれを問うことです。

 そう、ただ貞淑で忠実なだけの妻として終わるには千代はあまりにも賢すぎたのでした。かくして彼女のひそやかな活躍がはじまるのですが、これがまあ、滅法おもしろいんですね。

 いま、補佐という言葉を僕は選びましたが、これはあまりにも実情にそぐわない表現といわなければなりません。

 「女は気楽でいい」などと亭主関白を気取る一豊は、じつは自分ではそれとは気付かないながら、ある意味で千代の操り人形にすぎません。

 実際には千代が一豊を懐柔し、激励し、育成し、説得し、操作しているのです。それでは千代は非情な魔女なのかといえばそうではなく、彼女は可憐で、陽気で、笑い上戸、どこか少女のような愛らしい女性です。

 そして千代もひとが良い夫を愛していないわけではないのです。ただ、天が彼女に授けた才能、ひとの心の裏の裏まで読みとおせる怜悧な知性が千代を動かさずにはおかないだけ。

 だれが知ることでしょう。容貌美しく物腰可憐な娘の心に、ひとりの男を操って戦国乱世に覇を唱える気性と才幹が眠っていようとは。

 この第1巻の最後で一豊は石高2200石にまで到達します。功名餓鬼とまでいわれる男の野心の階段の末にあるのは、千代にとってあまりにも苦い結末なのですが、この時点ではそれは遠い先のこと。

 すべては、まだ、はじまったばかりです。