天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)

天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)

 読了。

 作家のなかには毎回別人かと思うほど毛色の違う作品で勝負するひとがいて、一方ではあるひとつのテーマに拘り抜いてずっとそれを描きつづけているひともいる。

 村山由佳は後者に属する作家だと思う。彼女の小説はいつだってひとつの主題の変奏曲であるにすぎない。その主題とは「胸掻き毟るほどのせつなさ」だ。

 ――と、自信をもって断言できるほど村山由佳を読んでいるわけではないのだが、このひとの場合は、そう断定してしまっても、たぶんそれほど問題はない。

 「格調高い文学でなくていい。全ての人を感動させられなくてもいい。ただ、読んでくれた人のうち、ほんの何人かでいいから心から共感してくれるような、無茶苦茶せつない小説が書きたい」。

 本作でこう語ってデビューした村山由佳は、これまでいくつもの「無茶苦茶せつない小説」を書いてきた。

 この小説も「無茶苦茶せつない」内容をめざして書かれたはずの作品であるのだろう(時期的にはひょっとしたら「もう一度デジャ・ヴ」のほうが前なのかもしれないけれど、一般的にはこちらのほうが村山のデビュー作として知られていると思う)。

 20歳前後の青年と、かれと恋人ないし友人の同世代の女性、そして20代後半〜30代の女性、という図式の三角関係を、僕が知っているだけでも彼女は4,5回は描いている。

 「きみのためにできること」、「夜明けまで1マイル」、「すべての雲は銀の…」、そして本書。

 彼女のなかにはなにかこの図式に象徴されるものがあって、それが彼女を無数の作品へと向かわせているのだろうか。

 文庫版解説の村上龍がいうように、物語の構成するこういった構造そのものはごく凡庸だが、洗練されたあざやかな叙述がありふれた構造をどこまでも美しく磨き上げる。

 夏の陽ざしはだんだんと柔らかくなり、毎日少しずつ影が長くなっていった。土ぼこりで白っぽかった道に、やがて銀色の絹糸のような雨が降り注ぎ始めた。
 雨は、かすかに赤く色づき始めたツタの葉を濡らし、駅前の石畳を濡らし、目をしばたたきヒゲをふるわせてうずくまる野良猫たちの背中を濡らした。一度降り始めると、なかなかやまなかった。
 そうしてひと雨降るごとに、空気は磨きぬかれてくっきりと透きとおっていき、ようやく雲が切れて陽がさすと、あたりは一面、蝶が黄金の鱗粉をまき散らしたかのように光り輝くのだった。――秋がやって来たのだ。

 うまいよねえ。うまいけれど、いまの村山由佳ならばもっとさりげなく書きそうな気もする。歳月は、ひとを堕落させもするが、成長させもする。

 ともあれ、この繊細な描写に乗って、物語は悲劇的なクライマックスへと一直線に駆け抜けて行く。発狂した父を持ち、自分もいつか気が狂ってしまうのではないかと苦しむ青年が生まれて初めて感じた恋心、

 その「無茶苦茶せつない」結末に、「心から共感」し、涙したのが、「ほんの数人」にとどまらなかったことはまちがいない。