『どんちゃんがきゅ〜』がスペシャルおもしろかった件。

 はぎゅ〜、これはおもしろかった。思わず、はぎゅ〜などとひと昔前の萌えキャラのようなことを口走ってしまうくらいおもしろかった。

 完璧な作品だとはいいません。好みが分かれるところはあると思います。しかし、好きなひとにとってはたまらない出来なんじゃないかな。

 少なくともぼくにとってはそうでした。あなたにとってもそうであったらいいな、と思います。はぎゅ。

 えっと、三十男が萌えキャラの真似をしていても心底気持ち悪いだけなので、正気に戻って続けます。

 この『どんちゃんがきゅ〜』は『さかしき人にみるこころ』に続くlightの廉価版ソフト第二弾。ぼくが買ったDL版だと新品を3000円弱で購入できてしまうなかなかお買い得な作品です。

 もちろん、低価格で販売できる裏にはそれなりのからくりがあるわけで、背景や音楽は他の作品の使いまわしだったりします。

 しかし、それもその作品を遊んでいないひとにとっては関係ない話ですから、やっぱりお得だと思います。普通のエロゲは9800円とかですからね。

 ちなみに『さかここ』と『どんちゃん』は姉妹編にあたります。姉妹編です。続編ではありません。登場人物と物語背景こそ共通しているものの、話はたがいに独立しているんですね。

 なので、まずは『さかここ』からプレイしなくては、という気遣いは無用です。『どんちゃん』が気になった向きは遠慮なくこちらか始めましょう。

 もっとも、『さかここ』をプレイしておくとより楽しめる箇所があることは事実です。ただ、『さかここ』もクリアしているぼくの意見では、『どんちゃん』の方が出来は上。

 まず、ヒロインのどんちゃんこと純紀子さんが可愛い。可愛すぎる。前作をプレイしたひとの半分くらいは「何でどんちゃんルートがないんだ!」と叫んでいたことと思いますが、それはこの作品で主人公を務めてもらうためだったのですね。

 どんちゃんは前作のヒロイン亜利美の親友で、全人類はいいひと系、地球人はみんなお友だち系、の超善良な女の子。その上、お肌ぴちぴちの美少女さん♪なので、学校では当然のごとくモテモテだったりします。

 しかし、エッチな話をきくときゅ〜となっちゃう困った癖のもち主でもあります。ある意味、エロゲのヒロインに向いていない子ですね。ああ、めんこい。

 ある意味、どんちゃんのこういうところをかわうい〜と思うか、単にうざいと思うかがこのゲームのすべてかもしれない。

 もっとも、その嘘がつけないひと系のどんちゃんにも秘密はあります。いまはまだ恋人未満ですが、いいかんじのお付き合いをしている男の人がいるのです。

 ところがところが、そこは恋愛もののお約束、ハッピーな恋を育むふたりの前に、次々と障害が立ちふさがります。はたしてふたりは無事ラブラブな関係になれるのでしょうか、というところから、物語は始まるのでした。

 ま、ようするにラブコメなんですけれど、これはなかなか上質なラブコメです。その手の作品をわりとたくさん読んでいるぼくがいうのだから間違いない。

 あったかくてハートフルなラブコメディが好きな方には、文句なしでオススメ☆です。☆マークもうひとつ付けますか? オススメ☆☆です。

 前作を遊んだときも思ったけれど、全体の雰囲気が何となく少女漫画っぽいですね。さすがに『花とゆめ』に連載されていてもおかしくない、というところまでは行きませんが、どこか白泉社系の匂いを感じる。

 さらに今回は基本的にどんちゃんの一人称視点で進むので、前作に環をかけてフェミニンな雰囲気が漂います。最前、好みが分かれる、と書いたのはひとつにはそういう意味でもあります。

 で、序盤はとにかく甘い。相思相愛カップルのらぶらぶいちゃいちゃな日常描写がひたすらに続きます。

 とはいえ、主人公のどんちゃんも、相手役の俊夫も、とてもとても奥手なので、ふたりの関係は一気に進展したりしません。そこらへんが本作品のラブコメたる所以。

 それでも、ふたりはお似合いの、ほとんど運命的な恋人同士です。ふたりともこの無情な世界でひたすらに善意にあふれているというきわめて貴重な性格のもち主なのです。

 しかし、そんなふたりに世界は必ずしも優しくはありません。中盤以降、物語は、驚くほど緊迫した展開へ向かいます。

 甘い甘いラブコメだけを期待して買った向きは失望するかもしれません。でも、ぼくにとっては、この展開はすばらしくおもしろかった。というのも、これは一種の「芸道もの」だと思うからです。

 どんちゃんの相方である佐藤俊夫くんは人形師です。その仕事の幅は広く、ガレージキットからお化け屋敷の人形まで。

 そして、かれの才能は控えめにいっても天才的です。このまま折れることなく上りつめれば、おそらくは名人上手の域まで上りつめるであろう、そういう才能です。

 しかし、本人はそのことにまるで気づいてません。かれは自分の才能をはるかに過小評価しています。そんな俊夫が、一人前の人形師になれるかどうかという試練が、この物語の骨格を形づくっています。

 いや――それすらも、実は、この物語の本質とはいえないかもしれない。これは「業」の、「宿業」の物語です。

 「技」という魔性に魅せられた男と、そんな男に恋してしまった女が、「愛欲」という名の地獄に堕ちていく、そういうお話です。

 この作品、ぼくはすばらしい出来だと思うのだけれど、いまのところ、あまり話題になっているようでもありません。『さかここ』の方が評判は上かも。

 それは、結局、エロゲファンに受けるような話の構造になっていないからだと思うのですよ。

 序盤、あれほど甘く甘く始まった物語は、次第に、きびしく、重々しく、変わって行きます。人形を作るということ、そして「職人」であるということの意味、その重さ、苦しさ、それと裏腹の歓喜――そういったものを、物語は、丹念に描きこんでいきます。

 で、ぼくがファンだからそう思うだけかもしれませんが、この作品、テーマ的に『らくえん』と一脈繋がっている気がするんですよね。

 というのも、ここにあるものはもてる「技」をいかにして社会と接地させるか、という問題だと思うからです。どれほど優れた才能であっても、社会とコミットできなければ、無に等しい、ということ。

 俊夫は天才です。十年に一人、あるいは、もっと少ないかもしれない、そういう種類の、才能。しかし、どれほど傑出した天才であっても、それをビジネスにすることができなければ、しょせん自己満足です。アマチュアリズムであるに過ぎません。

 『らくえん』はそういったアマチュアリズムの賛歌でした。しかし、あれは一時の、燃え上がる炎の物語だった。それが一生続くとしたら? それで本当にいいのか? 物語は問いかけてきます。

 俊夫は「職人」です。この狭い島国で何百年と受け継がれつつその色を濃くしてきた「美学」の血脈、それをいまに受け継ぐ若者。

 したがって、かれは金銭のことを巧く考えることができません。それを蔑んでいるわけではない。そうではなく、本質的に自分の「技」のこと、それをひたすらに高めていくことしか考えられない人種なのです。

 金もいらぬ、名もいらぬ、ただ己の「技」を極められればそれでいい、という思想が、俊夫を俊夫たらしめています。

 それはおそらく、潔い生き方なのでしょう。「美しい」とすらいっていいほど綺麗で純粋な「生」のあり方。たとえば一生を科学の研究に打ち込む者の「生」がひとの心を打つように、俊夫の「生」もひとを惹きつける魅力に満ちています。

 こんなふうに自分の仕事に没頭して生きてみたい、そういうふうに思うひとは少なくないでしょう。少なくとも、男性ならば。

 それは、かれが陽だまりでまどろむ猫のように穏やかな性格をしていることと、実は、関係ありません。世にも珍しい善性の化身のような性格の俊夫ですが、それでもなお、その本質において、かれは倫理よりも道徳よりも「技」を選ぶ人種なのです。

 自分自身の「技」に魅せられて、その穴をひたすら降りていく、そのことにしか興味を示すことができない種類の人間です。

 その目的のためになら、かれは何だってやる。できる。そうしてかれはすばらしい仕事をなしとげていくでしょう。歴史にのこるような傑作を生み出していくでしょう。

 たとえ、世間に名を知られることもなく、金銭に恵まれることもないとしても、それでかれは幸福になれたことでしょう。それだけなら、問題はなかった。

 しかし、かれは、不運にも、そう、不運なことに、恋に落ちてしまった。ただの恋ではなく、存在そのものがあいてと溶け合ってしまうような、至上の恋に。それが、かれを地獄に堕とすことになる。

 「職人」であり、「男」である俊夫が、紀子という「女」と出逢ってしまったことそのものが、地獄なのです。

 詳細は物語に譲りますが、しかし、「男」と「女」とは、これほどの修羅を生きなければならないのか、そう思わせるものが、この作品にはあります。

 ぼくは、これが政治的に正しい話だとは思わない。「男」だの「女」だのといったものを固定的に考える時点でいかにも保守的です。

 その意味で、この作品は性差別に基づくポルノグラフィであるというエロゲの限界を突破してはいない。しかし、まさにそうであるからこそ、「男」としてのぼくはこの話に強烈に惹き付けられました。

 エロゲらしくないことに、この話は「自立」を扱っています。どんなに愛するひととでも、いつまでも一緒にいることはできない。そのひとと離れて、ひとりで立ち、生きていかなくてはならない。

 そのテーマを象徴しているのが、どんちゃんの妹、真路乃です。この物語の中盤は、どんちゃんに深く依存する真路乃が自立していくプロセスが中軸となっています。

 しかし、その一方で、この作品は、決して離れられないほど深く組み合わさった男女を描いてもいます。それは矛盾であるように見えるかもしれませんが、そうではありません。

 自立は大切、けれど、この世にたったひとり、と、そこまで思いつめたひとがいるならば、もはや自立などといってはいられない、そう物語はささやいているのです。

 ふたりともにいればそのまま倒れるだけかもしれない。地獄に落ちるかもしれない。それでもなお、このひとと離れたくない。離れられない。それが「情」であり、「業」。

 男に「技」という名の「業」があるならば、女にも「情」という名の「業」がある。これは、そういう話だと思う。

 くり返しますが、「男」だの「女」だのといった役割を固定的に考えている時点で、この物語は、現代的な話だとはいえないでしょう。女性が遊んだら不快に思うかもしれません。

 しかし、これがエロゲなのです。これこそエロゲだとぼくは思う。萌えるラブコメと邪悪なポルノが、いかにも明るく甘い「恋」の描写と、「性」の暗く暴力的な側面が渾然一体となった、この混沌。その魅惑。ぼくはそれに惹きつけられます。

 ここにあるものは「純愛」などではありません。それに似て、実はその対極にある「情」と「性」の地獄巡りの話なのです。

 だから、この作品は単なる甘いラブコメディを期待するひとには受け入れられないだろうと思います。

 この上なくエロゲらしい作品でありながら、まさにそうであるからこそ、エロゲファンにはなかなか受け入れられない、そういう性質の作品が、時々あるのだけれど、これこそそんな代物です。

 ぼくはそういうものがこの上なく好きだし、惹かれます。あなたがこの作品をおもしろがってくれるかどうか、それはぼくにはわかりませんが、これはどこに出しても恥ずかしくないエロゲそのものです。

 『らくえん』でムーナスの連中が作り出そうとした、あの、「純愛」だの「陵辱」だのといった括りを超えた、深淵の世界。すばらしい。ぼくは、すばらしいと思う。

 くり返します。あなたが気に入ってくれるかどうか、それはわかりません。ただ、ぼくはこの作品を絶賛しつづけることでしょう。この作品と出逢えてよかった。この物語と触れ合えてよかった。

 これは傑作だと、ぼくは思います。この物語は、ぼくの心に食い込んでしまった。もう二度と離れることはないでしょう。

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